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そうだ、西安へ行こう!阿倍仲麻呂 [地歴]

市内の興慶宮公園に碑が立っていた。

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「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」
百人一首の歌だが、阿倍仲麻呂(698年-770年Wikipediaより)は遣唐使に選ばれて唐に渡り、船が難破して帰国できずに、日本へ帰ることなく没したと習った。
学問を修め、科挙(未だなかったかな?)に合格し、唐の官吏となって出世したらしく、
有名な詩人の李白とお友達だったようだ。すごい!
写真では分かりにくいが、碑には、「天の原 ・・・・・」の漢詩バージョンが左面に、
阿倍仲麻呂が乗った船が難破したと聞いて、嘆き悲しむ?李白の詩が右面に彫られている。

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船が難破し、海を渡ることが大変だったと聞いていたが、中国大陸へ上陸した後、長安までも遥かな旅路だった事だろうと思い至った。




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そうだ、西安へ行こう! 三蔵法師 [地歴]

西安は、中国のほぼ真ん中に位置する。何度か国の中心になった。
長安と呼ばれた時代があった。

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大雁塔:大慈恩寺
隋の後、唐の時代、玄奘三蔵法師は629-645年(世界史年表による)インドへ出かけ経典を持ち帰り、こちらで翻訳して大雁塔に納めた。
日本は、大化の改新?

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大雁塔に登り、最上階からの西安の街

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西安からシルクロードが始まる。


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ベトナム戦争を知らない子供達 [地歴]

帰宅後、残っていた電気工事などを済ませた。

11月に入り、楽しみにしていた激安ベトナム旅行「ダナン・フエ・ホイアンの旅」へ出かけた。
いずれも北爆のニュースでよく目にしていた地名だった。
現ホーチミン(旧サイゴン)へ行った時には行けなかった。

ダナンから古都フエへ
今はハイヴァン峠 ではなくトンネルが出来て便利になった様だ。

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古都といっても1902年〜1945年に、グエン王朝があった。
そんなに古い話ではなかった。
廟は大理石造りというけれど、
アンコールワットの様に、(亜)熱帯モンスーン?で早くも黒い遺跡になっている。

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街中にあるホーチミン氏の卒業した高等学校が見学コースとなっていた。
フエ大学は京都大学の様な存在らしく、落ち着いた街だった。

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川の上流のお寺を見学した。禅宗らしかった。

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王宮があった。1945年までフランス統治下で機能していた。
2重のお濠に囲まれた内部は、戦争の跡が残った壁以外は破壊されていた。
一つずつ復元している所らしい。
日本で普通に戦争中にとか、空襲でとか言うと70年前の太平洋戦争を指すが、ベトナムでは40年前のベトナム戦争を指す。

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市場とスーパーマーケットにも行き、念願の編笠を購入し、早速被り始めた。
これに天秤棒を担げば、ベトナムのお婆さんの出来上がり。
ホテルもランクが上がった。

翌日はホイアンへ移動した。
途中、ベトナム縦断列車と並走した。
3時間に1本しか走らないので、見かけたらラッキーという事らしい。

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ホイアンは、40年も前に茶道で黄交趾とか紫交趾とかを知り、この地からの到来物と知ってから、ずっと興味を持っていた。
ルソン助左衛門?茶屋次郎四郎?がこの地との交易をしていたと。
行ってみれば、確かに数10年の差だとは思うが、この地は越南・中国・日本だけだった。
東インド会社もフランスも気配がなかった。
1600年が関ヶ原、1602年が最初の株式会社の東インド会社だったはず。

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日本橋の先に日本人街があった。

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夜は、色とりどりのランタンで楽しんだ。

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さすがにお米が一年に2回、3回採れる所、米が採れないから蕎麦が名産ではなく、色々なフォーなど米の粉で作られている。
スープは値段で旨味が違う。
バナナの花のスープ

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3泊食事付きで、添乗員は30代のフエ大学で日本語を学んだ好青年。
ベトナムの戦争を知らない子供達も働き盛り、頼もしい。
戦争を知らない子供達とは日本では我々団塊の世代だが、ベトナムの戦争を知らない子供達は、団塊の世代の子供達と同じ世代、一代進んでいる。

シンチャオ(万能挨拶)
カムオン(ありがとう)
ゴン(美味しい)
を覚えた。

1975年に初めてロンドンへ行った時には、街中に高齢者が多いと思ったが、
ご近所は今、老人ばかり。「イギリス病」ではなく「日本病」か。

日本は敗戦の戦後であっても高度成長期にはこんな風に見えた事だろうが、
ベトナムは戦勝後で若い人たちが多く、真面目で将来が楽しみだ。


ロワール国盗り物語 [地歴]

ナントからトゥールへSNCFで移動した。
ナントからTGVでルマン(自動車レースで有名?)、乗り換えてトゥールへ、朝霧の中、森や畑の中を列車は走った。
子供の頃見た映画「わんぱく戦争?」で裸の子供達はこんな森の中にいたような気がした。

トゥールも素敵な街だった。

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ここをベースに2日間、ロワール古城の見学に出かけた。
たくさんのお城が残っている。
いずれも、外からは川や堀のある堅固な城郭で、入ると中庭を囲み、たくさんの塔のある建物となり、さらに庭園やブドウ畑などもあったりする。

庭園が見事で、野菜畑もあるヴィランドリー城

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眠れる森の美女を着想したというユッセ城

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庭園で一位の実を味見したランジェ城

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ブドウ畑の向こうの古城

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霧の中にそびえるアンボワーズ城

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ランチを頂いたシュノンソー城

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猟犬が犬舎にたくさんいたシュヴェルニー城

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広い国立公園となっている大きなシャンポール城

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他にも色々たくさんのシャトーが残っているようだった。

戦国時代、岐阜、尾張、駿河、甲州、信州、関東、、、国盗り物語があった。
西洋史は分かっていないのだが、ヨーロッパでも国盗り物語が展開されていたようだ。
オルレアンのジャンヌダルクはイギリス軍を破った。
日本とはスケールが違う?
でも、よく考えたら、後に秀吉が朝鮮出兵した事と同じ?
もしかすると荒唐無稽な事でもなくヘゲモニーを考えるなら、そうなる?

・・・

シュノンソー城の帰り道、何だか良い香り。
アプローチ道路に沿う用水の向こうに、一面野生のシクラメンが咲いている。
シクラメンの香りがするの?ご存知の方は教えて下さいませ。

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TGVでパリまで出て、2泊した。
オペラ座のバックステージツアーでオケ付きのバレエのリハ−サルを見学した。
豪華な建築を堪能し高い天井を見上げ、ふと私達には2畳台目の茶室にもコスモスの時空があるのだと気が付いた。

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翌朝、宴会をしたシャルルドゴールからアムステルダム経由で成田に帰国した。
食事は、とこでも全て美味しく、パンも全て美味しかった。
豊かな農業国でさすが美食の国。
無事に帰宅できてお疲れ様でした。


行田行 [地歴]

imarinさんのブログでいつも拝見している「さきたま古墳」に憧れ続け、やっと念願を果たした。
桜の時期は短く逃してしまったが、古代蓮は今だ!
7/18海の日に、妹が付き合ってくれて、出かける事ができた。
出足も遅く行田駅に着いたのは10時過ぎ、荒川と利根川に挟まれた関東平野の真ん中は、暑かった。

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大賀ハスとは違うらしいが、1000年以上も前の種子が発芽する事の生命の神秘!凄い!
日が高く昇ってしまっていたので、逆光で葉脈や木陰が涼しげだった。

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そして、古墳へGO!
昔、銘文の彫られた鉄剣が出たニュースで「さきたま古墳」を知っていたが、imarinブログでおなじみの丸墓山古墳は、石田三成が忍城水攻めの時に、采配を取った所と「のぼうの城」で読んだ。
このアプローチ、登ってみれば、遥かに忍城を望み、辺りは水郷の風情、高い所は古墳しかない。
手こずっている間に、小田原城が陥落してという話だったような?
何れにしても、すごく古くから人間が住み続けてきた土地で、いろいろな勢力の攻防があった所らしい。
imarinさん、ありがとうございます。

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続けて、忍城へ回り、見学した。
中は、きれいな博物館になっていて、エアコンも効き、一息ついた。
上田城も忍城も、扮装した「おもてなし隊?」が楽しませてくれていた。

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シャトルバスは乗るたびに料金がかかるので、路線バスで吹上駅へ出て、初めての上野東京ラインに乗って帰宅した。
一人では、中々出かけられなかったが、付き合ってくれる人がいて、楽しい1日となった。
感謝!

シャトルバスについて、フリー切符にして欲しいと行田市観光協会へメールしたら、数日で意見を今後に生かすとお返事をもらえて、好印象となった。


日本中世の自由と平等 [地歴]

gaccoの「日本中世の自由と平等」4週が終了した。
YouTubeを何度も再生して、本郷先生のお話を理解しながらついて行くだけで精一杯、他の史料に当たる余裕も無いまま時間が過ぎた。
最終レポートを提出したのだが、レポートなどを書くなどとどうしたら良いかも分からなかった。
結局、講義の要約になってしまい、文字数制限の中、考察を一言も書けなかった。

学生時代とは違って大人になってみれば、さもありなん事も理解でき、色々刺激を受けた。
本郷先生の考え方は金ちゃんに似てる!
ゾレンでなくザインから見て行くと!

大学生の頃だったと思うが、遂に日本で米の自給が達成された。
律令の頃から、黒板の上に貼ってあった年表に大書きされていた「墾田永代私有令」を経て、2000年の悲願達成かと一人で感激していた。
すぐに減反政策が始まり、今では人口減少も始まっている。

正倉院展で見た、近畿圏ではなく関東地方の納税台帳戸籍に感心したものだが、素直なおバカだったかもしれないと思わされた。
めったにないものだから、正倉院の宝物になって虫干しをして保存してあるのかもしれないと。
シロウトの私がどう考えても、やはり武蔵や安房の国の隅々まで公地公民管理が出来てたのかな?と
これはゾレンだったのかと。

父の転勤で行った60年も前の釧路では、史跡はアイヌの古戦場のチャランケチャシしか聞かなかった。
しかし記録が無いだけで、人間はたくましいし、海の幸・森の幸が豊かだから、日本人かどうか不明だが、漁師・猟師はずっと住んでいたに違いないと思えるようになった。(網野2倍史学)
それから熊本県八代市へ転勤した。
ここでは、山の上から海(干拓地も)まで、隅々くまなく人の手が入ってしっかり管理されていた。
水田の中に点々と島のように古墳が残り、懐良親王陵もあった。平家の落人部落の人達は色が白く顔も身体も立派でハンサムだった。
こちらは日本史の典型的な場所だったのだと分かる。
お米がよく穫れた所だから、たくさん京都へ送られた事だろう。

温故知新、歴史を学ぶ心が少し分かった気になった。
考古学は面白そうだと分かるが、日本史も面白そうだ。

今年もたくさん咲いてくれたアイスバーグ、ありがとう!

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