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そうだ、西安へ行こう! [旅]

遅くなったが、2月に出かけた西安の備忘録を忘れないうちに、、、
帰宅してから、すぐに横山光輝作「漫画 三国志」30巻を読み、さらに3人目の孫の出産などがあり、忘れてしまいそう。

上海と北京しか中国を知らないが、黄河と揚子江それぞれの上流への興味が尽きず、ずーっと行ってみたいと思っていた漢中原(かんちゅうげん)、格安パック旅行「西安」に一人参加して出かけた。

「兵馬俑」「玄奘三蔵法師」「阿倍仲麻呂」「空海」と。

安いパックなので、上海乗り継ぎで行きに1日、帰りに1日かかり、中2日の観光となった。

夜に西安の飛行場に着き、バスで市内のお宿まで行く途中、「渭水です」とガイドさんが言うので窓外を見ると、バスは橋の上を走り河を渡っている、暗い中遠くに岸?が見える長い橋、大河だ!
おもむろにバッグからスマホを出して、写真を撮ってみた。十分間に合った。
でかい!

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お宿は、城壁の西面のすぐ城外だった。

翌日は、早速「兵馬俑」へ
西安は北に渭水、南が秦嶺山脈の間にある。

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アメリカの様に、何でもでかそうだ!河も平野も山も?

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大きな体育館の様な建物に番号がつけられ何棟かあり、発掘、展示、研究、修復や博物館となっていた。
さらに未発掘の遺跡が埋まっている様だった。

上野の博物館での展示があった時に見た?どこも壊れていない完全なまま出土した兵士像、履物の靴底の滑り止めのパターンが爪先と踵で変えてある芸の細かさ!

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近くにある始皇帝陵

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これらが、紀元前221年秦の始皇帝が天下を統一したと年表にある、日本は縄文か弥生か。

保存を研究しながら、慎重に発掘を進めるのだとか。
まだまだ、発掘すると色々出てきそうだ。



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ポルトガル旅行 [旅]

3月になり、旅の達人の友人が誘ってくれたポルトガル旅行へ出かけた。
何から何までお任せの旅行で、たいして準備をしないうちに出発の日が来てしまった。

乗り継ぎのフランクフルト空港では、チェックが厳しいような気がしたが、何とか夜遅くリスボンへ到着して泊まった。

歳のせいにはしたくないが、あまり覚えていなくて逐一時系列で記録する気になれず、印象に残っている所だけを記す。

まず、西岸海洋性気候でこの春はヨーロッパは寒波が来ていたようだ。
雨がよく降るし、降ったり止んだり。

バス移動の車中から見た国土
海岸から少し内陸の緩やかな丘陵地帯に道路が作られていた。
バスで北上し、コインブラ1泊、ポルト2泊、バスで南下してリスボン2泊した。
イベリア半島内部から大西洋に流れ出る川は概ね東から西へ向かって流れ、それらの大小の谷を通りながらの旅だった。

オビドス
王様がお后様にプレゼントした領地。代々の后達がある程度の力を持っていたとは良い国だ!

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ファティマ
20世紀に奇跡が起こった聖地

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コインブラ

河岸段丘の上に拓けた古い大学の街で、対岸にある英国で言えばマナーハウス?の様な貴族の館跡の見た目クラシック、設備モダンなホテルに泊まった。
良いお宿だった。

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ガイドさんが留学していたという古いコインブラ大学を見学した。

口頭試問の行われるホール、図書館、お仕置き部屋、、、学生さんの勉強漬けの毎日を思い巡らした。

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ポルト
河口にある古い都で、良港の街。
川の谷が深く、あの鉄とガラスの時代(エッフェルのお弟子さんの設計とか)の橋梁が架かって、素敵な街だった。
上は鉄道、下は道路

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ここのカテドラル前には帆立貝の印があった。イエズス会関連で長崎の聖人も祀ってある教会もあった。鉄道駅はアズレージョと呼ばれるタイルの装飾壁で囲まれ、歴史の物語になっていた。

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対岸には、ポートワインのワイナリー工場が並んで見える。

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お宿は、新しい街のサッカー場の隣。

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とっても素敵な街だった。


サンチャゴ・デ・コンポステーラ

2010年に出かけたオランダ・ベルギーへの旅行
その時、オランダからベルギーへ入った。
ベルギーでは、どの町でも大聖堂カテドラルの回り帆立貝の印が舗道の敷石の間にあった。
このマークを辿ってお遍路さんのようにスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩くと知った。

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歩き遍路とはいかず、ポルトからバスで飛ばし、まず、モンテ・ド・ゴソへ
バスから降りた途端に、冷たい強風に煽られ、降雨も雨から雹へと、上下の雨具で覚悟していたが、真っ直ぐに向く事も出来なかった。

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巡礼者の像までは行ったが、サンチャゴの町も聖堂も何も見えず。

バスに引き上げ、旧市内へ入ると晴天!虹が出てもおかしくない様な、、、これも奇跡?
カテドラルと門前町をゆっくりと見学した。

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聖ヤコブ像にハグして世界の平和と心の安寧を祈った。

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ロカ岬

ユーラシア大陸最西端のロカ岬は、眩しい晴天だった。
風が吹き、大波だった。

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ここから遥か西の海の彼方にあのニューヨークがあるのだと、リンクが繋がった。
子供の頃、釧路の新富士海岸で太平洋を眺めながら、この海の東の彼方にアメリカ(サンフランシスコ)があるのだと思っていたっけ。
1975年に初めてヒースローで大西洋線の案内板を見て、(コンコルドが飛び始めた頃)ロンドンーニューヨークは近いのでは?と思った事など思い出された。

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この大海原へ大航海時代のポルトガル人達は乗り出していったのだ。
1日中、ぼんやりしながら眺めていたい様な素晴らしい場所だった。


リスボン

出発前にポルトガルについて泥縄のにわか勉強してみたが、種子島に鉄砲伝来し、その後は宣教師達の布教があり、、、で行き詰った。
カテドラルも教会も行ってみれば、イエズス会、殉教者などあるにはあるが、圧倒的にすごいのがブラジルのミナスジェラエスで産出され運ばれたという金、黄金だった。
金泥で厚く飾られていた。

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ご本山のローマからは離れているし、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人が冒険に乗り出す時に各宗派や各王室などがスポンサーの一つだっただけで、「欲望の経済史」(Eテレ)よろしく大航海に乗り出したたくさんの人がいたのだった。
そのブラジルを、あっさりと手放し独立させたというポルトガルだった。

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アラベスクな雰囲気もある。

ファド
日本の演歌のようだと聞いていた。
以前にテレビで見た時には、恨歌、怨歌、、、の様な暗く迫力のある歌だった記憶があった。
観光客向けのショーへ連れて行ってもらった。
確かに、服装は黒、照明もあまり明るくはない。
しかし、意外にもリズムっぽかったりして、そんなに暗い感じがしなかった。
言葉が全く解らないので歌詞の意味は不明だが、もしかしてこれは、恨み節ではなくて人生を肯定する応援歌なのかもしれないとフト思った。

リスボンの街は、大河テージョ川の河口に近い川の港で、川に向かって緩やかな丘から坂道が下っていた。
大航海時代から、この港から世界へ向けて貿易(場所の移動による富の創出?)が盛んに続いていた。
トラムが路地を登り下りしながら軒先をかすめる様に走っていた。
お宿は闘牛場の前だった。

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ポルトガルといえば、サッカー(私はモウリーニョ監督のファン)くらいしかピンとこないが、スペインの隣にあって、それぞれ独立した歴史のある所だった。




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ソウル行 [旅]

今年も、秋のソウルへ娘と孫に連れて行ってもらった。

お宿は弘大のK-POP好きが多い民宿ZZZIP-Guesthouseで、女主人のジナさんが娘と同年代で、お子供さん2人は保育園へ通っていた。

今回の旅では、世界遺産の水原華城へ行ってみようと思っていた。
鎌倉へ行くのに東京駅まで出ないで横浜から横須賀線をつかまえるように、最寄の合井駅から新道林へ出て、たくさんの親切なソウル市民に助けてもらって、水原行きに乗れた。
お忙しい時間に、皆さん、ありがとうございました。
何しろ、ハングルは読めず、音も分からず、スマホのgoogle翻訳だけが頼りという強心臓なのだ。
セマウル号にも乗ってみたいが、次回以降のお楽しみ!

水原へは道中の車窓景色は、横須賀線で鎌倉というより、京成線で成田山へ行く感じだった。
立派で大きな水原駅からタクシーで水原華城へ向かった。
正祖イ・サンが造ったお城で南北に八達門と長安門があり城壁がぐるっと巡っていた。

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西側は、天然の地形を利用している。

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柿食えば 鐘が鳴るなり 水原華城
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18世紀の終わり頃に作られた華城だが、日本ではその頃にはすっかり落ち着いて山城の形式は取っていないはず。
二条城には厩もないと聞く、駕籠や徒歩が通常の移動手段の都市生活だったようだ。

常に清(中国)と国境を接してきた朝鮮では、華城や江華島など首都機能を移転できる場所を用意しておく必要があったようだ。
日本に比べ、中国との付き合い方はやはり一日の長がありそうだ。

長い李氏朝鮮時代だが、ハングルを作った世宗大帝と正祖イ・サンが良くドラマになっている。
日本でも、時代劇の大河ドラマは戦国時代か明治維新ものが多い。

イ・サン王様はいろんな役者さんが演っているが、いずれも誠を尽くし勉強家で国を大切に考える立派な人物の聖君であったようだ。
昌徳宮の秘苑の「宙合楼」の扁額の文字からも真面目な人柄が偲ばれた事を思い出した。
TSUTAYAでレンタルした「王の涙」のヒョンビンが一面だけであるが、らしくて好きだ。
日本では、太閤記の秀吉役者は出世し、信長役者がかっこ良すぎる。
どんなに超人的にかっこ良くても、最後に滅びる事で全てのつじつまを合わせてしまう。

閑話休題
日本も朝鮮も中国に比べると、スケールが小さい。
それぞれに、懸命に作ってきた歴史ではあるが、やはり空間的な広がりの大きさ、漢字を始め文化の歴史など中国への興味は尽きない。



長崎行(有田) [旅]

好天続きのシルバーウィークは金木犀の香りに包まれた。さて、続き

長崎では中国やヨーロッパとの交流を感じ、古今東西のリンクが面白かった。

白村江の戦い、元寇、秀吉の朝鮮出兵、と何度か歴史で習う朝鮮や大陸との摩擦と交流。
そして多くの渡来人によってもたらされた情報・技術、それを取り込んだ文化。
何と言っても九州は大陸に近い。
焼き物のエリアへ出かけた。

山坂の街は海から入る以外は、すぐに峠越えの道となる。
天領は思っていたより狭く、今の長崎県は諸藩に分かれていたらしい。

シーボルトの居所の鳴滝から螢茶屋を経て高速に乗り、一気に佐賀県を目指した。
まず波佐見へ レンガ造の四角い煙突がある。
やきもの公園でいろいろな窯を見学した。
登り窯


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棚田は彼岸花が咲き始め、稲穂が色づいて来ていた。
よくもこんなに石を積んで水を回し、と里山の秋に感心した。
遠くの方は、水田ではなく茶畑のようだった。嬉野茶もあったと思い出した。

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有田へ入った。

秀吉の朝鮮出兵時に朝鮮から来た李参平が見つけたとされる、泉山磁石場へ行った。
解説板に「400年かけてひとつの山を焼き物に変えた」と言われるとあった。
白くサラサラの石だった。
ここから白磁が日本で焼けるようになったとか。
ひと山分の土が焼き物になり、日本だけでなく遠くヨーロッパにまで渡って行ったのだ。
「すごいことだねぇ〜」と息子と二人で感嘆!

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昨年、ソウルの博物館で見た朝鮮靑花(白磁染付)とリンクした。

トンバ塀の通りをぶらぶら散策し、陶山神社や九州陶磁博物館などを見学し、アウトレットを冷やかし、レンガの煙突があちこちに建っている有田街歩きを楽しんだ。
香蘭社や深川もクラシックでデルフト窯を彷彿とさせる建物だった。
窯業の学校もあり、焼き物の街だった。

空港への帰途は、大村湾沿いの一般道で早岐を回りハウステンボスの前を通り皆60キロで飛ばす。
大村線の「千綿」(ちわた)という可愛い無人駅に立ち寄った。
青春18切符のポスターになった所らしい。
ちょうど長崎から佐世保行きが着いて、通学の高校生がパラパラと降りてきた。
自転車に乗ったり、お迎えの車だったり、帰宅してゆく。青春だ!

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長崎、有田はとても楽しかった。
長男のおもてなしに感謝。
元気でしっかり暮らして下さいと祈る。



長崎行(市内) [旅]

大雨で洪水になりたくさんの被害が出た。
心よりお見舞い申し上げます。
その後、秋の空が広がった。

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長男が独立し、長崎で暮らしている。
一度、訪ねたいと思っていた。
行ってみたい所、食べたい物などのリストを知らせるように言ってくれていた。
言われた通りに知らせたら、2日間仕事を休みおもてなししてくれた。

お天気は、雲も出て暑くなくちょうど良かった。
飛行機も順調だったが、そろそろ降下?と思われた頃に一度だけ揺れた。
夜のニュースで阿蘇山が噴火したと知り、時間的にちょうどその頃だったのでこれだと思った。

市内行きのバスで松山町へ向かいそのバス停で待ち合わせ、まず平和公園へ。
中国人だらけ、ここも浅草みたいと思ったら、クルーズ船が入港中だそうだ。

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高校生の時に訪れて以来の48年ぶりの長崎、ずいぶん観光地として整備されている。
浦上天主堂へ歩く途中に長崎名物アイスと教えてもらい、トライ。

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路面電車は乗り換えても120円で浦上川沿いに港方面へ移動し、香港上海銀行の建物へ。
バスが多く走っている。
中は梅屋庄吉の記念館になっていた。
上海のバンドの(セントポールと密かに呼んでいた)香港上海バンクとは規模が違うが、長崎にも必要があって支店を構えていたのだった。
そういえば、日銀だって長崎にも釧路にもある。

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その後、チャンポン発祥の四海楼で遅い昼食、皿うどん太麺とチャンポンが美味しかった。
店内から岸壁のクルーズ船(SAPPHIA PRINCESS)がよく見えた。

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食後はグラバー園、大浦天主堂、小菅修船所、出島と見学して日没後の稲佐山へ

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対岸は三菱造船所


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出島で出会ったVOC東インド会社


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下山して、遅い夕食が卓袱料理で盛りだくさんの長崎の1日だった。

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長崎は浦上川と中島川の谷沿い以外は山坂で坂道は曲がり平らな所が少なく、斜面にぎっしり建物が建っている。
原爆とキリスト教と東インド会社+出島の歴史が異国情緒ある特別な街にしている。
バスと路面電車の歴史が古く、暮らしに便利。
素敵な街だ。

翌朝、シーボルトの住んでいた鳴滝へ行ってみた。
真っ平らなオランダ人が作ったオランダの国土とはまるで違う、長崎らしい谷筋だった。

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2010年にオランダのライデン・シーボルトハウス茶会の記事はこちらから



ナイアガラとN.Y. 3 [旅]

風邪が長引いてしまった。

氷河が残したたくさんの大きな湖水、その水域を大西洋まで流れる途中の断層にできたナイアガラ、圧倒的な水量でさすが大陸の五大湖、日本人の私にとっては海のようなオンタリオ湖だった。
セントローレンス川を遡り、五大湖を通って、石炭は鉄を引く?時代のクラシックな水力発電所の建築もとてもゆかしいものだった。

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昨年はグランドキャニオンの赤い谷、今年はナイアガラと大陸の川相に接し、圧倒的なスケールに感嘆した。


トロントから飛行機でニューアークへ飛び、車でマンハッタンを目指した。
トンネルでハドソン川を抜けるとマンハッタンの真ん中!

さあ、5番街・ロックフェラーセンター・ブロードウェーで「マンマ・ミーア」

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翌日は、セントラルパーク、メトロポリタン美術館・グッケンハイム美術館・サークルラインでハドソン川からイーストリバーまで回り、グランドセントラル駅

メトロポリタン美術館屋上からセントラルパーク越しに見るスカイスクレイパー

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最終日は、Blue Noteでジャズを聴きながらSunday Branchして、ナビスコの工場跡地の再開発のChelsea Marketでショッピングし、ハイラインを歩いた。

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帰りはJFK空港から
すっかり秋の空になって錦織圭君の試合は機上で応援!

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楽しいオバサンご一行の旅だった。
お友達に感謝!


ナイアガラとN.Y. 2 [旅]

滝見と言っても山奥の細く長い滝ではない。
大陸の氷河が作り出した大きな湖沼の間を流れるすごい水量の川にできた断崖を流れる瀑布だ。
カナダ滝へ向かう。
左岸に見えるオールドファッションの大きく立派な建物は「水力発電所?」と思ったら、やっぱり昔の発電所だった。
現在の水力発電所は、もっと下流にある。

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滝の裏から

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遊覧船に乗って、水も滴るいい女になって来ます

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ずぶ濡れの遊覧船は楽しかった!

ナイアガラとN.Y. 1 [旅]

順序が逆になったが、9月に友人達が「ナイアガラとニューヨーク」への旅に連れて行ってくれた。
数年前に、「私未だニューヨークへ行ったことがないので是非連れて行って欲しい」とお願いしていた。
忘れないうちに、まとめよう。

合計300歳を超えるオバサン5人の道中は、空港のラウンジから。

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ワシントンDCダレス空港で乗り継ぎ、国内線はドアを開けるとタラップになるDHC8-300双発機でバッファローへ。

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狭い機内で、それでもソフトドリンクの機内サービスがあり、初めて飛行機に乗せてもらった1963年(千歳ー羽田)、スチュワーデスのお姉さんが飴玉を配ってくれた事など懐かしく思い出した。

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バッファローから車で国境を通り、ナイアガラへ到着した。

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遠くから見える水煙、広さ大きさが想像を超える。


女子旅 [旅]

女子旅のハイライト、お楽しみの数々

お約束の写真撮影

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弘大では可愛いアイスのウィンドウショッピング

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明洞のソフトクリームはスカイツリーよりノッポさん。
チョコレートとストロベリーのコンビネーション。

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大きなフルーツのパッピンスはトレンディなアックジョンロデオ
メロンとマンゴーを頼んで、3歳から64歳までの女子5人で頂いた。
中にはコンデンスミルクのジェラードが入っていた。
思わずウットリ

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そしてカンジャンケジャン蟹

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広蔵市場の餃子包みアジュンマ
9秒でいっちょあがり!



楽しかった!

紙と文字 [旅]

弘大という街は、面白いところだった。

「駐車場通り」という廃線の跡地を見た限りでは
朝は人が少なく、夕方から夜には若い人達がどっと繰り出している。
子供と高齢者の姿は見えない。
アートな街らしい。

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このビルには、デザインされた雑貨を扱うお店が入っていた。

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屋台の食べ物屋さんからビルの店舗のファションや靴屋さんなど原宿?のような感じ。
近くの大学の隣にラジオの放送局があり、ここはそのスタジオらしい。

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本屋さんもあちらこちらにあり、BookCafeと書いてある喫茶店ももっと見かけた。
昨秋サンフランシスコでは、「アマゾンにやられちゃって書店がほとんどなくなってしまった」とドライバーさんが言っていた。
しかし、帰りの機内で隣の席にいらした女史は、新聞・ペーパーバック本をモーレツに読んでいらした。
友人のお土産に頂いた韓紙の袋だが、この地ではまだまだ紙媒体に文字を載せる文化がしっかり続いていそうだ。
文学青年や文学少女がいるに違いない。
東京は、サンフランシスコに少し似ていてタブレットで本を読んだりする人も、紙媒体で読む人もいる。

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韓紙や筆・墨・硯などを扱うお店が多い仁寺洞で見たお面色々。

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最近評判が良くないが、紙に文字を書く文化と同様に歴史的に多くの文化がこの地を通って日本へもたらされて来た。面白くリスペクトが湧く。
博物館で陶磁器を見て過ごした時間も自分の狭い頭の中の古今東西を一瞬駆け巡り、紙と文字もチラッと考えられた。
これが旅の醍醐味でしょうか。


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