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釧路から東京へ [思い出]

2018年7月に釧路で恩師を囲む会があり、出かけた時の事

マイルが往復にちょっと不足だったので、片道をJRに乗ってみようと思った。
新幹線もできた事だし、何せ青函トンネルを通った事がないのだから。
青函トンネルがメインとすると、帰途をJRにして旧青森駅まで明るければ、後は東京までその日のうちに帰宅できそうなので、往きが飛行機 帰りがJRと固まった。

釧路08:23→20:32東京(こちらなら青森は絶対日没前)
釧路11:24→23:04東京
2本もあります。隔世の感!

小学2年生の時に、祖父の葬儀で釧路から鉄道で上京した旅(上野まで2晩かかりました)の追体験をしてみたかったのだ。
そうなのです、「まりも」という夜行でした。
小2年の7月初旬の朝、「チチキトク」という電報が母へ届きました。
学校へ行っておいで、と登校しました。
帰宅後、夕方には「チチシス』の電報が届きました。
まだ、釧路に飛行場はなく、千歳まで行っての飛行機でした。
母と前年11月に生まれた弟だけでも飛行機でと手を尽くしたようですが、もう亡くなったからみんな一緒に鉄道でと父母、小2の私、幼稚園の妹、7ヶ月の弟の家族5人で「まりも」の2等車で出ました。
寝台車は、今日の今日で、全員分は取れませんでした。
父と小さい兄弟が寝台車で、私と母は2等車の座席で。

ウトウト寝入り、気がつくと汽車は停まっていて、辺りは明るくなっていました。
「フラノー、フラノー」と聞こえました。
母が、「狩勝峠を越えたのよ」と話してくれました。
初めて富良野に出会いました。
その後、富良野はどんどん有名になりましたが、私には狩勝峠を越えた富良野のままでした。
機関車の付け替えか何かで?結構長い間停車していた記憶があります。すっかり夏の夜は明けて気持ちの良い朝になっていました。
そして、そのまま根室本線から函館本線を通り、夕方函館に着きました。
青函連絡船で4時間?青森から又夜行に乗り、翌朝、上野駅に着きました。

まだ、7ヶ月の弟と幼稚園児の妹と小2の私を連れての2晩がかりは、ありったけのオムツを持って両親はさぞや大変だっただろうと思います。
弟は、東京に着くとすぐにアセモまみれになりました。
なぜか、帰り道の記憶は無いのですが、60年前の昭和のお話です。
平和でこうだから、難民さん達には本当に胸がつまります。
これが、今ではJRで12時間で走る!夢の様です。

今回の旅の私の密かなミッションでした。

みどりの窓口のお兄さんにも、「すっと乗って長いですが、大丈夫ですか?」と言われました。
鉄男君の長男にも、同じ事を言われましたが、ヨーロッパやアメリカに行く飛行機は同じくらいかかり、しかも狭い座席で立つ事もできないから平気!窓の外を見てれば時間はすぐ経ってしまうよ!

懐かしい思い出と共に、そんなJRの車窓にしがみついての帰京となった釧路行きでした。

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