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ポルトガル旅行 [旅]

3月になり、旅の達人の友人が誘ってくれたポルトガル旅行へ出かけた。
何から何までお任せの旅行で、たいして準備をしないうちに出発の日が来てしまった。

乗り継ぎのフランクフルト空港では、チェックが厳しいような気がしたが、何とか夜遅くリスボンへ到着して泊まった。

歳のせいにはしたくないが、あまり覚えていなくて逐一時系列で記録する気になれず、印象に残っている所だけを記す。

まず、西岸海洋性気候でこの春はヨーロッパは寒波が来ていたようだ。
雨がよく降るし、降ったり止んだり。

バス移動の車中から見た国土
海岸から少し内陸の緩やかな丘陵地帯に道路が作られていた。
バスで北上し、コインブラ1泊、ポルト2泊、バスで南下してリスボン2泊した。
イベリア半島内部から大西洋に流れ出る川は概ね東から西へ向かって流れ、それらの大小の谷を通りながらの旅だった。

オビドス
王様がお后様にプレゼントした領地。代々の后達がある程度の力を持っていたとは良い国だ!

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ファティマ
20世紀に奇跡が起こった聖地

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コインブラ

河岸段丘の上に拓けた古い大学の街で、対岸にある英国で言えばマナーハウス?の様な貴族の館跡の見た目クラシック、設備モダンなホテルに泊まった。
良いお宿だった。

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ガイドさんが留学していたという古いコインブラ大学を見学した。

口頭試問の行われるホール、図書館、お仕置き部屋、、、学生さんの勉強漬けの毎日を思い巡らした。

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ポルト
河口にある古い都で、良港の街。
川の谷が深く、あの鉄とガラスの時代(エッフェルのお弟子さんの設計とか)の橋梁が架かって、素敵な街だった。
上は鉄道、下は道路

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ここのカテドラル前には帆立貝の印があった。イエズス会関連で長崎の聖人も祀ってある教会もあった。鉄道駅はアズレージョと呼ばれるタイルの装飾壁で囲まれ、歴史の物語になっていた。

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対岸には、ポートワインのワイナリー工場が並んで見える。

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お宿は、新しい街のサッカー場の隣。

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とっても素敵な街だった。


サンチャゴ・デ・コンポステーラ

2010年に出かけたオランダ・ベルギーへの旅行
その時、オランダからベルギーへ入った。
ベルギーでは、どの町でも大聖堂カテドラルの回り帆立貝の印が舗道の敷石の間にあった。
このマークを辿ってお遍路さんのようにスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩くと知った。

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歩き遍路とはいかず、ポルトからバスで飛ばし、まず、モンテ・ド・ゴソへ
バスから降りた途端に、冷たい強風に煽られ、降雨も雨から雹へと、上下の雨具で覚悟していたが、真っ直ぐに向く事も出来なかった。

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巡礼者の像までは行ったが、サンチャゴの町も聖堂も何も見えず。

バスに引き上げ、旧市内へ入ると晴天!虹が出てもおかしくない様な、、、これも奇跡?
カテドラルと門前町をゆっくりと見学した。

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聖ヤコブ像にハグして世界の平和と心の安寧を祈った。

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ロカ岬

ユーラシア大陸最西端のロカ岬は、眩しい晴天だった。
風が吹き、大波だった。

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ここから遥か西の海の彼方にあのニューヨークがあるのだと、リンクが繋がった。
子供の頃、釧路の新富士海岸で太平洋を眺めながら、この海の東の彼方にアメリカ(サンフランシスコ)があるのだと思っていたっけ。
1975年に初めてヒースローで大西洋線の案内板を見て、(コンコルドが飛び始めた頃)ロンドンーニューヨークは近いのでは?と思った事など思い出された。

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この大海原へ大航海時代のポルトガル人達は乗り出していったのだ。
1日中、ぼんやりしながら眺めていたい様な素晴らしい場所だった。


リスボン

出発前にポルトガルについて泥縄のにわか勉強してみたが、種子島に鉄砲伝来し、その後は宣教師達の布教があり、、、で行き詰った。
カテドラルも教会も行ってみれば、イエズス会、殉教者などあるにはあるが、圧倒的にすごいのがブラジルのミナスジェラエスで産出され運ばれたという金、黄金だった。
金泥で厚く飾られていた。

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ご本山のローマからは離れているし、イタリア人、スペイン人、ポルトガル人が冒険に乗り出す時に各宗派や各王室などがスポンサーの一つだっただけで、「欲望の経済史」(Eテレ)よろしく大航海に乗り出したたくさんの人がいたのだった。
そのブラジルを、あっさりと手放し独立させたというポルトガルだった。

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アラベスクな雰囲気もある。

ファド
日本の演歌のようだと聞いていた。
以前にテレビで見た時には、恨歌、怨歌、、、の様な暗く迫力のある歌だった記憶があった。
観光客向けのショーへ連れて行ってもらった。
確かに、服装は黒、照明もあまり明るくはない。
しかし、意外にもリズムっぽかったりして、そんなに暗い感じがしなかった。
言葉が全く解らないので歌詞の意味は不明だが、もしかしてこれは、恨み節ではなくて人生を肯定する応援歌なのかもしれないとフト思った。

リスボンの街は、大河テージョ川の河口に近い川の港で、川に向かって緩やかな丘から坂道が下っていた。
大航海時代から、この港から世界へ向けて貿易(場所の移動による富の創出?)が盛んに続いていた。
トラムが路地を登り下りしながら軒先をかすめる様に走っていた。
お宿は闘牛場の前だった。

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ポルトガルといえば、サッカー(私はモウリーニョ監督のファン)くらいしかピンとこないが、スペインの隣にあって、それぞれ独立した歴史のある所だった。




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